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福岡地方裁判所 昭和30年(行)28号 判決

原告 福本照子または辛基和こと辛照子

被告 福岡入国管理事務所長

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人は、「被告が原告に対して昭和二十九年十月八日なした出入国管理令に基く退去強制令書発布処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として次の通り述べた。

原告に対する出入国管理令違反事件について、入国管理官は、原告が出入国管理令第三条の規定に違反して昭和二十九年七月十六日頃本邦に正規の手続を経ずに不法入国したものと認定したので、被告は、右認定に基き昭和二十九年十月八日原告に対し退去強制令書を発布した。なるほど原告が前記のように本邦に正規の手続を経ずに入国したことは事実であるが、原告にはもともと出入国管理令第五十条第一項第三号所定の特別在留許可を受けうべき次の諸事情が存した則ち、(一)原告は大正十二年八月一日朝鮮釜山市多大浦多大里番地不詳において出生し、私立の塾である書堂(小学校の程度)を二年で中退したほかは全く就学することなく生育し、昭和十四年九月頃大阪府北河内郡牧方町字中宮に在住する原告の実兄福本信光を頼つて本邦に入国し、引続き同所に居住していたこと、(二)原告は昭和十八年十一月頃現在の夫である林虎三と結婚し、大阪府堺市松屋大和川通十二町百八十五番地に居住し、翌十九年九月頃長男敏吉を出産したものであること、(三)昭和二十年五月頃大東亜戦争激化のため原告等は堺市長から強制疎開を命ぜられた結果、原告の夫虎三は前記福本信光方に残留し、原告は一時的疎開の目的で原告の夫の毋である車免守、原告の夫の兄である林元甲並びに原告の長男敏吉と共に朝鮮に渡航し朝鮮慶尚北道盈徳郡盈徳面に居住する原告の夫の兄林命争の許に同居していたものであること、(四)原告は昭和二十六年十月頃朝鮮動乱の戦禍のためその財産を喪失し、原告が世話を受けていた林命争とも死別し、諸所を彷徨するうち前記車免守及び敏吉も死亡し、原告一人取り残されて朝鮮においては最早身を寄せるべき親族もなく住むに家のない状態となつたこと、(五)原告の唯一の頼りである夫林虎三をはじめ実兄福本信光等の一家が本邦に居住している関係上原告は生活上の不安をのがれる緊急の必要からのみならず夫に対するやむにやまれぬ愛情から昭和二十九年七月十六日頃大阪市港区市岡浜通四丁目三十七番地に居住する夫林虎三を慕つて本邦に入国したものであること、(六)原告は右入国のさい長崎県対馬郡厳原において出入国管理令違反容疑で厳原警察署に逮捕されたが、昭和二十九年八月頃長崎地方裁判所厳原支部において右特別の情状を考慮されて懲役六月、執行猶了三年という寛大な判決の言渡をうけた程であること、以上がそれである。

かゝる諸事情が存するから原告が入国審査官の認定に対し口頭審理の請求をし、更に法務大臣に異議の申立をするにおいては、原告は前叙の特別在留許可を受け得たのであるが、元来が殆ど就学することなく生育し、文盲で日本語を理解する能力に欠けていたため右異議の申立等をなしうる権利を有することを知らなかつたのは勿論、被告からもその旨知らされなかつたので、被告が原告に対し署名を求めた文書が口頭審理の請求等をしない旨を記載したものであることを知らず、右文書に署名をした場合には特別在留許可を受ける救済手段を放棄する結果となることを知らず、却つて自己の意思通りに本邦に在留することができると誤信して前示文書に署名したものであるから、右文書による口頭審理の請求等をしない旨の原告の意思表示は錯誤により無効である。しかして出入国管理令第四十七条第四項、第四十八条第八項に基き被告が退去強制令書を発布する場合には原告において口頭審理の請求をしない旨ないし異議の申立をしない旨の有効な意思表示があることを前提とするから、前記のように右意思表示が無効である以上、これに基き被告が退去強制令書を発布した処分は違法である。

次に本邦には原告の夫をはじめ実兄等の親族が居住し、朝鮮には何等の住居、財産、親族もなく生活上の手掛りもない等、特別在留許可をすべき事情があるにかゝわらず、原告に対し退去強制令書を発付するのは権限の濫用であるから本件退去強制令書発布処分は違法である。

又、退去強制令書発布処分は出入国管理令第三十九条、第四十四条、第四十七条から第四十九条までの規定の趣旨に徴し、出入国管理令違反事件の容疑者の適法なる身柄の拘束を前提要件とすることは明かである。原告が長崎地方裁判所厳原支部において懲役六月、執行猶了三年の言渡をうけて、さらに被告によつて身柄を拘束されたのは出入国管理令第三十九条の規定に基く収容令書ないしは同令第四十三条の規定によつたものである。

然しながら右出入国管理令第三十九条ないし同令第四十三条の規定にいう収容は身柄の拘束であつて、憲法第三十三条の規定にいう逮捕にほかならないにもかゝわらず、その収容令書を発布する主任審査官は憲法第三十三条の規定にいう権限を有する司法官憲でないことが明かである以上、出入国管理令第三十九条ないし同令第四十三条の規定は憲法第三十三条の規定に違反して無効である。従つて本件退去強制令書発布処分の前提要件となるべき身柄の拘束が不適法かつ無効であるから、その退去強制令書発布処分は違法である。

ちなみに、原告は本訴提起について訴願の採決を経ていないのであるが、原告が出入国管理令第四十八条の口頭審理の請求、同令第四十九条の異議の申立をしなかつたのは前記のように錯誤に基き口頭審理の請求を放棄した結果によるものであるのみならず、原告の実兄福本信光の代理として牧師呉允台が昭和二十九年十月三十一日頃及び同年十二月十三日頃被告及び大村入国者収容所長笠島角次郎に対し原告の右意思表示は錯誤に基くものであるから、異議の申立を受理して救済せられるよう懇請したところ、同年十二月十三日頃被告及び大村入国者収容所長から原告をして自費出国という形式で一旦仮放免の許可を受けしめたうえ、法務大臣に直接嘆願をなすことが唯一の救済手段である旨教示されたので、右教示に従つて同三十年十一月六日まで原告の仮放免の許可をうけた。従つて申請人が前記口頭審理の請求ないし異議の申立をなさず、これに対する裁決を経なかつたことについて正当な事由があるというべきだから出入国管理令第六十八条の規定により訴を提起しうるものである。

以上の次第で本件処分は違法であるからこれが取消を求めて本訴に及んだ。

第二、被告指定代理人は先づ本案前の答弁として、主文同旨の判決を求め、その理由として次の通り述べた。

本訴は出訴期間を徒過した不適法な訴である。即ち本件退去強制令書は昭和二十九年十月八日発布され、原告は同月十三日該令書を呈示のうえ執行をうけその身柄を大村入国者収容所に収容されたものであるところ、原告から本訴が提起されたのは昭和三十年十月三十一日である。してみれば本件は行政事件訴訟特例法第五条第一項所定の出訴期間を経過してをり、これにつき原告の責に帰すべからざる事由によつて右出訴期間を遵守しえなかつたと認むべき事由は存しないから追完もできないと言わなければならない。又、同条第三項の出訴期間を経過してゐることも明かであり、右出訴期間の延長を許すべき何等の正当事由も存しない。以上により原告の本件訴は不適法なこと明かであるから却下せらるべきである。

次に本案につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに主張として次の通り述べた。

原告主張のように入国審査官が原告に対する出入国管理令第三条違反事件につき本邦への不法入国を認定したので、被告が右認定に基ずき昭和二十九年十月八日原告に対し退去強制令書を発布したこと、原告主張の特別在留許可をうけうべき事情のうち(六)のような事情が存することは何れも認めるが、その余の原告主張事実は争う。原告は日常生活に事欠かない程度に日本語を理解し且話すことができ、本件の場合も昭和二十九年十月六日入国審査官から審査の結果及び之に対し口頭審理の請求をすることができる旨を告げられ、(実際の取扱は出入国管理令第四十七条所定の書面を交付すると共に口頭を以てその旨を告げている)原告はその趣旨を理解し熟考の末右認定に服し同年十月八日口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名したものである。

又、原告主張のような特別在留許可をなすべき事情(出入国管理令第五十条所定の)は法務大臣が異議の申立を裁決するに当つてその裁量によりこれを許可すべきか否かを決すべき事項にかゝるから、入国審査官の認定の際及びこれに基ずく主任審査官の退去強制令書発布の際そのような事情を考慮すべき法律上の根拠はなく、従つて原告主張のような権限の濫用を生ずる余地はない。

次に、憲法第三十三条は刑事手続に関する規定であり、出入国管理令に規定する如き行政手続においてはその適用又は準用あるべきものではないから、同令第三十九条乃至第四十三条の規定は憲法に違反するものではない。

以上の次第で本訴に応じられない。

第三、原告訴訟代理人は、被告の前記訴却下の抗弁に対し更に次のように主張した。

本訴は行政事件訴訟特例法第五条第一項所定の六ケ月の期間経過後に提起されているが、これは原告が本件退去強制令書に基いて直ちに執行されず、原告を大村入国者収容所に収容の際も同収容所へ単に身柄を移されただけで被告から該令書の呈示をうけなかつたのみでなく、該令書発布処分のあつたことを理解する能力もなく、又昭和三十年十一月六日まで仮放免されていたため右令書は申請人に告知されなかつたのである。従つて原告は本件退去強制令書発布処分を知らなかつたのであるから、本訴提起について行政事件訴訟特例法第五条第一項の規定の適用はないというべきである。

原告が本件退去令書発布の日から本訴を提起するまで前記特例法第五条第三項所定の一年の期間を徒過したのは、行政訴訟等の救済の手段のあることを知らない一介の韓国人である牧師呉允台の懇請に対して被告及び大村入国者収容所長笠島角次郎が一定期間内に行政訴訟の提起できること等について教えず、法務大臣に直接嘆願をなすことが唯一の救済手段である旨教えたため、原告の実兄福本信光及びその代理人牧師呉允台が昭和三十年五月中旬以降同年十月二十八日頃までの間法務大臣花村四郎及び外務省顧問谷正之に対し原告に関する本件の事情を訴え、これを救済せられるよう再三懇請を続けていたのであるが、前記令書発布処分に対する法定の出訴期間経過後の昭和三十年十月二十八日頃、前記谷正之から結局行政訴訟によつてその救済を求めるほかない旨申し渡された。これにより原告は始めて行政訴訟による救済手段があることを知つて昭和三十年十月三十一日本訴を提起した事情にある。又原告は昭和三十年六月三日頃日本赤十字社中央病院に慢性胆のう炎兼胆石症兼腸管癒着症の病名で入院し、同月十五日手術をうけ、同年七月五日退院後も原告の肩書住居地で現に加療中である等の事情にある。以上の事実によれば出訴期間の徒過について民事訴訟法第百五十九条所定の当事者の責に帰すべからざる事由乃至は行政事件訴訟特例法第五条第三項但書所定の正当な事由があること明かである。

以上の理由により本訴提起は適法である。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

先づ、本訴が行政事件訴訟特例法第五条第一項及び第三項所定の各出訴期間を徒過した後提起された不適法な訴であるとの被告主張の抗弁につき考へるに、本訴が、原告に対して本件退去強制令書が発布せられた昭和二十九年十月八日から一年以上経過した昭和三十年十月三十日に提起せられたことは原告の自認するところである。そこで、原告の主張するような諸事情が行政事件訴訟特例法第五条第三項但書に所謂正当な事由に当るかどうかを検討するに、

韓国に国籍を有する原告が、有効な旅券又は乗員手帳を所持せずに昭和二十九年中に本邦に入つた事実、原告が同人に対する出入国管理令第二十四条第一号により退去強制する旨の入国審査官の認定に服し、口頭審理の請求を放棄する旨記載せられた口頭審理抛棄書に署名拇印した事実は原告の自認するところである。ところで、原告は、右口頭審理抛棄書に対する署名は、原告が殆んど文盲に均しく、日本語に通じていないのに拘らず、入国審査官より右署名の意義が如何なるものであるかについて説明を受けなかつたので、之に署名するときは却つて日本に在留を許可されるものと誤信したことによるものであるから、右書面による意思表示は無効である旨主張するけれども、後記証拠に照し信用出来ない原告本人の供述以外に之を肯認するに足る証拠なく、却つて成立に争なき乙第五乃六号証、証人山本喜久三の証言によれば、原告は多少の訛はあるが入国審査官より本件審査を受けるについては事欠かない程度に日本語を理解することが出来ること、山本入国審査官が昭和二十九年十月六日原告を審査の結果、原告は出入国管理令第二十四条第一号に該当し、退去強制せられる旨認定し、その通知書を原告に読み聞かせ、朝鮮に送還せられるのが不服であれば三日以内にもう一度調べを受けることを申出る様伝へ更に二日後である同月八日原告に意思を確めたところ、朝鮮に帰る旨申して口頭審理抛棄書に署名拇印したものであることを認めることができる。されば、たとい原告主張のように、原告或はその実兄福本信光及びその代理人呉允台等において本件退去強制令書発布処分に対し行政訴訟の提起できることを知らず、又被告及び大村入国者収容所長等が行政訴訟提起の点につき教示しなかつたため、法務大臣及び外務省顧問谷正之等に対し退去強制令書発布処分の救済に奔走するうち出訴期間を徒過し、又原告が昭和三十年六月三日頃入院手術したような事情があつたとしてもこのような事由は同法第五条第三項但書にいう正当な事由に該当するとはいえない。蓋し、右但書にいう正当な事由がある場合とは、具体的な諸事情を衡量してみて、出訴期間を徒過したことにつき、その懈怠の責を訴提起者に負わしめることが著しく酷であると判断されるような諸事由がある場合と解すべきところ、本件における原告の主張によるも、被告その他の行政庁が原告側に本件退去強制令書発布処分の救済方法について誤つた救済方法を教示する等の事情があつたわけでもなく、ましてや行政訴訟の出訴期間について実際と異つた期間を説明する等の事情があつたものでもなく、結局原告等は法務大臣等に対して本件処分の救済運動をするうち一年の出訴期間を徒過して了つたことになり、決して無為にその間を過したわけではないものゝ、期間徒過の事情としては通例の域以上に出でうるものではなく、そして、原告が入院手術する以前から原告の実兄福本信光或は呉允台等において原告に代りその救済等につき配慮してをり、原告の入院は格別の支障となつていないような事情にあるので、寧ろ期間懈怠の責を原告に負わしてもさして酷とするに足りないと解されるからである。従つて本訴は法定の出訴期間を徒過してをり、他に期間徒過後も訴提起を許すべき正当の事由も存しないので結局不適法といわなければならない。

よつて、本訴は不適法としてこれを却下することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 大江健次郎 高石博良 奥輝雄)

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